このサイトはアフィリエイト広告を利用しております
東日本大震災経験者南海トラフ地震対策はしてますか?
南海トラフ地震についてかなり報道されていますが
備えは十分でしょうか?
私は宮城県に住んでいますので宮城県沖地震と
東日本大震災のどちらも経験しています
別に対策も備えもしていませんでしたので大変な思いをしていました
南海トラフ大地震に備えて防災セットの準備をお勧めします
私は宮城県沖地震と東日本大震災両方経験していますが
宮城県沖地震では、津波はありませんでしたが
建物の被害が多く崩れたブロック塀の下敷きになって
子供がなくなったり人的被害も多少出ました
もちろんどちらの地震もガス・水道・電気のライフラインは停止です
宮城県沖地震
宮城県地震の時私は20歳でしたトヨタ系のディーラーで整備士をしていましたので
地震が来る直前まで車の下にもぐって整備していました
17:00になったときに先輩から一回休憩しようと声がかかり
休憩していた時に地震が来ました
整備していた車は落下して地面に
もし休憩していなければつぶされていたのかもしれません
それから帰宅しましたが仙台バイパスはいたるところで
10cmくらいの段差ができていてノロノロ運転です
自宅近くの道路は半分くらい崩れていて車一台やっと通れる状態に
自宅につけば父親の植木鉢がひっくり返っていて
母親がそれを片付けようと掃除機を出していました
私「なにしてんの?」母「土だらけだから掃除機かける」
私「電気来てないんでは?」母「そうだ駄目だ」
地震に弱い母親でしたので気が動転してわけわからなくなってたのかも
建物の被害は多く結構3階建ての建物が2階に変わってたりありました
近くのホームセンターの従業員の車が被害にあったから見積もり身に行ってくれ
と言われて行って見ましたが、どこにも車がありません
従業員の方を探して聞いてみたところ
ホームーセンターの2階の壁がそのまま落ちてその下にあると
壁の下を覗いてみたら30cmくらいの高さになった車がありました
見積もり不可です、代替え有難うございます
私の自宅は水は出てガスもプロパンだったので無事電気だけでしたが
都市ガスを使用しているところはしばらくガスも来ませんでした
隣のアパートは傾いていまにも倒れそうになっており
住民は全員避難していました
他にも傾いたアパートはあり次の日の雨で倒れたりしたことも
宮城県沖地震の場合は
そんなこんなでライフラインの復旧にはしばらくかかりましたが
食料品に困ることもなく人的被害も少しありましたが大きな損害はありませんでした
ただ私の場合はです、避難した方もいますので
ぜひ防災セットの準備をしてください
東日本大震災
東に本大震災の被害は宮城県沖地震の非ではありませんでした
丁度私は、会社の車で後輩と外に出ており
携帯から聞いたことのない音が、初めて聞く緊急地震速報でした
後輩に「携帯なってるぞ」後輩「俺のじゃないですよ」
私「あ!俺のだ地震だってよ」
その後強い揺れがしばらく続きました
あんなに長く揺れたのは初めての経験でした
急いで会社に戻りましたが悲惨な状態に
建物は傾き事務所の中はごちゃごちゃになっていて
何から手を付けていいのかわからない状態に
その時はまだ津波が来るなんて知る由もありませんでした
3月で雪も降ってきて寒かったのですが電気もガスも使えません
夜に自宅に帰りましたが、信号も動いてないので交差点は注意しながら走行し
全域ですから警察官も出ていません、もちろんそんな余裕もないと思いますが
帰り道周りにネオンの明かりもなく異様な景色だなって帰ってました
ラジオでは仙台の荒浜地区で200~300の遺体を発見しました
と言っているのですが、車のテレビを見ても
被災地には津波の映像を流さないので
状況がわからない・・・
そんなにたくさんの人が海に津波を見に行ってたのか?
まさか家ごと津波に流されているとは思ってもいませんでした
自家用車の燃料は常に満タンにしておきましょう
東日本大震災ではしばらくの間停電になりました
停電になったらもちろんガソリンスタンドは動きません
さらに悪いことに仙台港の燃料貯蔵タンクが爆発してしまい
仙台港には燃料が入らなくなりました
急遽日本海側の山形の酒田港に船を入れましたが
数量に限りがあり、緊急車両が優先で
一般車両は10リッターまでとか規制がつきました
しかもかなり並ばないとそのガソリンも入れられません
並んでる途中でガス欠して止まってる車も結構ありました
満タンにしていれば持つような期間ではありませんでしたが
車でテレビを見たり携帯を充電したりしていたので
アイドリングストップなど燃料の節約は皆さんしてました
いまだに少し地震で揺れただけで、燃料が気になります。
ガソリンは常に満タンにしていた方が何かの時は
必ず役に立ちますので、満タンにしておくようにしましょう
津波警報が来た時の教訓
1.バラバラに逃げる取り決めをしておくこと
会社が心配で会社を見に行って亡くなった方
家族が心配で自宅に戻ってなくなった奥様・ほかの家族は避難していて無事でした
津波が来たら絶対危険な地域には戻らずめいめい避難しようと
取り決めをしておくこと!これは絶対に決めておいてください
家族が心配で自宅に戻ろうとして亡くなった方は多数います。
2.津波がすぐ来ないからと言って安心しないこと
宮城県は地震が来てから津波が来たのは約一時間後です
人間はすぐに来ないともう来ないんではないかと
思い込んでしまいます。
そのことで避難が遅れて亡くなった方が多数います
3.できるだけ高い所に避難する
仙台市は平野なので高さはさほどありませんでしたが
その分距離が結構長くなっています
リアス式海岸の南三陸や陸前高田などは
リアス式のため集中するので高さがあります
南三陸志津川病院は4回の屋上まで来ています
陸前高田では5階建てのアパートの屋上に車が乗っていました
それから避難指定場所の避難所に津波が押し寄せ多くの方がなくなっています
とにかくなるべく高い所に避難してください
良くニュースで報道されていた、大川小学校
指定避難場所は素人の私が見ても無理でしょと思う場所でした
大川小学校の目の前が山になっているので
そこに上っていれば全員助かったでしょう
40分も校庭にいて先生がどうしようか相談していたみたいですが
もう来ないと思ったのではないでしょうか?
やはり今まで経験していないのでそこまでと思ったのかもしれませんが。
以上の三つはしっかり守ってください。
まとめ
自分の命は自分で守ることが大事です、日ごろから家族で決めておきましょう
私の家のその後ですが、電気もガスも水道もありません
すぐ援助物資が届きましたので、食料には困りませんでした
お風呂に入れない、トイレを流せないということが
一番大変でした、トイレの水はポリタンクに水の出るところからもらって
毎日組んできていましたが、知り合いに水の出るところがあると限りません
しかもしばらくは停電です私は5回でも大変でしたが
高層マンションの上階の方は更に大変だと思います
そこで一番欲しかったのが非常用トイレです。
皆さんも最低限の対策として備えておいてください。
|
コメント