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世界の異界を見つめ続けた写真家がたどり着いた「驚異」と「記憶」の交差点

写真家・佐藤健寿の歩いた20年以上に及ぶ旅の軌跡を集成した『奇界/世界』は、展覧会「佐藤健寿展 奇界/世界」を基に再編された、現時点での決定版的作品集である。オールカラー528ページに代表作200点以上、5万字インタビューや学術的解説を収録し、写真集でありながら思想書・アーカイブとしての性格も併せ持つ一冊だ。「奇界」と「世界」という二つの視座を往還しながら、異界と日常、驚異と記憶の境界を問い直す本書は、見るたび・読むたびに新たな発見をもたらす。単なる回顧ではなく、現在進行形の世界を写し続ける写真家の現在地が、静かに示されている。
1. 『奇界/世界』とは何か|佐藤健寿20年の集大成
『奇界/世界』は、写真家・佐藤健寿が2002年頃から約20年以上にわたり世界各地を旅し、撮影してきた膨大な作品群を集成した決定版的作品集です。2022年から2024年にかけて開催された展覧会「佐藤健寿展 奇界/世界」をベースに、展示内容を再編集・再構築する形で編まれています。
オールカラー528ページという圧倒的な物量に、代表作200点以上と5万字を超えるテキストを収録。単なる写真集ではなく、回顧展・アーカイブ・思想書の性格を併せ持つ一冊です。佐藤健寿自身も「現時点の集大成」と位置づけており、本書は彼の活動の到達点を示す記録であると同時に、次の旅へ向かうための中間報告でもあります。
2. 『奇界遺産』から『奇界/世界』へ|シリーズの進化
佐藤健寿の名を一躍知らしめた『奇界遺産』シリーズは、世界各地に存在する奇妙で不可思議な風景や習俗を切り取った作品群でした。『奇界/世界』は、その延長線上にありながらも、単なるベスト盤ではありません。
本作では「奇界」と「世界」という二つの視座が並置されます。異様で驚異的な対象を追い続けた『奇界遺産』に対し、本書では旅人としての時間、記憶、視線そのものがより強く意識されています。奇妙なものを“見せる”だけでなく、それを見つめてきた写真家自身の思考や変化が、作品全体に静かに滲み出ている点が大きな進化と言えるでしょう。
3. 「奇界」12テーマが描く“世界の異界”
本書の核となる「奇界」パートでは、世界の不思議な物語が12のテーマに分類されて展開されます。居住、廃墟、奇景、構造物、習俗、宇宙、創造、博物館、死、信仰、現代の神話Ⅰ・Ⅱといったテーマは、地理や文化を超えて“異界”の様相を浮かび上がらせます。
洞窟の村や北朝鮮、チェルノブイリ、軍艦島、エリア51や百舌鳥古墳群など、被写体は極めて多様ですが、そこに共通するのは「人間が世界をどう意味づけてきたか」という問いです。佐藤の写真は異様さを強調するのではなく、淡々とした距離感で記録することで、見る者に思考の余地を残します。この静かな視線こそが、「奇界」を単なる珍奇ではなく、文化として成立させています。
4. 「世界」編に見る旅人としての記憶
「世界」編では、「奇界」で描かれる強烈な異様さから一歩距離を置き、旅の途上で出会った風景や瞬間が断片的に収められています。そこには、特別に奇妙とは言えない風景や、日常と地続きの世界が写し出されています。
しかし、この「世界」こそが「奇界」を相対化する重要な役割を果たしています。異界と日常は明確に分断されているわけではなく、視点ひとつで反転する。そのことを静かに示すのがこの章です。写真家・佐藤健寿が“驚異を探す者”である以前に、ひとりの旅人であるという事実が、ここでは強く感じられます。
5. EXTRA章が示す現在進行形の佐藤健寿
『奇界/世界』には、展示アーカイブにとどまらない「EXTRA」章が収録されています。EXTRAⅠ「再生」では、コロナ禍収束後に再開された旅の記録が収められ、中央アジアやバヌアツなど新たな土地で撮影された作品が追加されています。
さらに注目すべきは、EXTRAⅢ「記録」として収録された能登半島の写真です。2024年元日の地震後、複数回にわたり撮影されたこれらの写真は、居住・廃墟・自然といった本書のテーマと深く重なりつつ、時代の証言として強い重みを持っています。本書が過去の集成であると同時に、現在進行形の記録であることを、このEXTRA章は明確に示しています。
6. 写真表現の特徴|ワンダーと人類学的視線
佐藤健寿の写真表現の最大の特徴は、被写体の異様さを強調しすぎない抑制の効いた距離感にあります。世界の奇妙な場所や習俗を写していながら、恐怖やセンセーショナルさに寄りかかることはなく、あくまで「そこに存在しているもの」として提示されます。
この姿勢は、人類学的なフィールドワークに近いものです。異文化を「異常」として切り分けるのではなく、人間の営みの延長線上として捉える。その結果、写真は単なる視覚的驚異ではなく、思考を促す装置として機能します。本書に通底する「ワンダー(驚異)」は、消費される刺激ではなく、問いとして立ち上がるものなのです。
7. 5万字インタビューとテキストが持つ資料的価値
『奇界/世界』の重要な柱となっているのが、2002年から2025年に至る思考の変遷を追った5万字規模のインタビューです。旅の動機、被写体との向き合い方、写真家としての立ち位置などが、時系列的に語られています。
加えて、「Q51 佐藤健寿に聞く51のキーワード」や自著解説によって、作品を読み解くための補助線が丁寧に引かれています。これらのテキストは作品解説にとどまらず、セルフ・アーカイブとしての価値を持ち、研究資料としても十分に耐えうる内容です。写真を見るだけでも成立しますが、テキストを読むことで理解は格段に深まります。
8. 学術的解説から読む『奇界/世界』
本書には、芸術人類学者・鶴岡真弓、比較文学者・山中由里子という二人の研究者による解説が収録されています。いずれも、佐藤健寿の作品を単なる写真表現としてではなく、思想的・文化的文脈の中で位置づけています。
鶴岡は「奇」を「終わり」から始まるものとして捉え、ワンダーの反転力を論じます。一方、山中は『奇界遺産』以来の作品群を「驚異の媒介」として評価し、見る者の認識を揺さぶる力を指摘します。これらの解説によって、『奇界/世界』は写真集の枠を超え、学術的にも読まれうる一冊として成立しています。
9. 写真集としての物量・構成・完成度
528ページ・オールカラーという圧倒的なボリュームは、本書の大きな特徴です。写真点数は200点以上に及び、テーマ別構成により膨大な情報量でありながらも、視線の流れが整理されています。
装丁や印刷品質も高く、細部まで鑑賞に耐える仕上がりです。展示を観た人にとっては記憶を呼び起こすアーカイブとして、未体験の人にとっては展示を追体験するための媒体として機能します。単なる「重い写真集」ではなく、時間をかけて読み返されることを前提とした完成度の高い一冊です。
10. どんな人におすすめか|読者像の整理
『奇界/世界』は、万人向けのライトな写真集ではありません。その一方で、以下のような読者には強くおすすめできます。
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『奇界遺産』シリーズの読者・ファン
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写真表現と思想の関係に関心がある人
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民俗学・人類学・比較文化に興味がある人
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展覧会を見逃した、あるいは再体験したい人
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長く手元に置ける「決定版的作品集」を求める人
強烈な刺激よりも、考えながら見る写真を求める人にとって、本書は非常に満足度の高い一冊となるでしょう。
11. 購入前に知っておきたい注意点
『奇界/世界』は完成度の高い作品集である一方、購入前に理解しておきたいポイントもいくつかあります。まず挙げられるのが、物理的なボリュームと重量感です。528ページ・大型判という仕様は、気軽に持ち運んで眺める写真集ではなく、腰を据えて読む・鑑賞するための書籍だと言えます。
また、本書は強いビジュアルインパクトを持ちながらも、娯楽的・消費的な写真集とは性格が異なります。写真とテキストの情報量が非常に多く、一度に読み切るより、時間をかけて向き合う読書体験が前提となっています。そのため、軽く流し見したい読者には重たく感じられるかもしれません。
さらに、「奇妙さ」や「異界性」を期待しすぎると、「世界」編や日本の風景を扱ったEXTRA章に戸惑う可能性もあります。しかしそれは欠点ではなく、本書が“奇”を単独で切り取るのではなく、日常や記憶との連続性の中で捉えている証でもあります。
12. 総合評価・まとめ|「奇」はどこへ向かうのか
『奇界/世界 佐藤健寿作品集』は、写真家・佐藤健寿の20年以上にわたる活動を包括した、現時点での決定版とも言える集大成です。『奇界遺産』で提示された「世界の不思議」は、本書において「世界そのものをどう見るか」という問いへと深化しています。
「奇界」と「世界」を分けつつも重ね合わせる構成は、異界と日常、驚異と記憶の境界を揺さぶります。さらにEXTRA章や能登の記録が加わることで、本書は過去の回顧にとどまらず、現在進行形の世界を記録する書として成立しています。
写真・テキスト・学術的解説が高い次元で融合した本書は、単なる写真集ではなく、読むたびに新たな発見をもたらす「思考のアーカイブ」です。
「奇」は遠い異界にあるのではなく、世界の見方そのものに潜んでいる──そのことを静かに、しかし確実に示してくれる一冊と言えるでしょう。


